昭和四十七年六月二十一日


「家柄人筋を改むるより、互いに人情がらを改めよ」


商売人には商売人の行き方いわゆる道がある、けれども信心をさせて頂きますと、その商売人の道を心得なくても、いや心得ておった人達が信心になりますと、もう商売の道をゆうのはいらなくなる。いわゆる何事にも真心になれよと仰る。もうこの真心になれば商売の道を心得ておる人よりも、かえっておかげを頂く。
 商売人には 商道、商売人の道がある、けれども信心させて頂くものはね、何事にも真心になれよと仰る。真心になっていくという事は、場合には商売人としてそんな事で良いかと、まあ危ぶまれるような時があるのです、けれどもそこから、いわゆるあの人は商売人だと云われるような人よりも、おかげを受けておるという事。
 私はこの家柄人筋を改めるより、互いに人情柄を改めよという事は、そんな事だと思うです、世間一般で、商売人には商売人の道があると云われておるように、例えば、特に結婚、縁談をまとめにゃと云う時には、家柄とか人筋とかと云う事を云うのですけれども、ここでは教祖はもう問題にしておられないようです、そんな家柄とか人筋とか問題じゃないと、商売人は商売人の道を と云うのじゃないと、ここでも大体そうでしょうが、商売人が神様にばっかり参ってからと、いつ行ったっちゃ大将はおりゃせんじゃないか、例えばそんなら高橋さんやら、秋永先生がおられますが、もう本当にあれで商売人かと云うような事ですけれども、結構そんなら商売は立って行っておる。
 いやむしろ、そんなら商売にでも打ち込んで、商売の道をふんで行ってやって行っておる、商売人よりもかえって、そこに不思議なおかげを受けておる、というように極端な例を、今日私は先に申しましたけれどもです、家柄人筋を改めるより、人情柄を改めよと仰るのは、そういう極端な事だと思いますねえ。
 信心させて頂く者は、家柄人筋なんか、娘をやり息子に嫁をもらうでも、只人情柄を改めよ、その前の御理解にも「縁談に相性を改め見合いすより真の心を見合わせよ」と云うのがあります、それなんです、これは又事実そうなんです、それが本当なんです。
 けれどもその家柄を云うたり、人筋を云うたり、例えば小倉の初代の場合なんかでも、只四神様のお口添えで御座いましたから何もかも、只四神様がもらえと仰る娘は、兎に角体中にいろんな病気を持っている、世間では病袋と云われる程しの娘でございますそうですと、四神様に申し上げられた。
 皆さんでもそうですよね、御神意を伺うてから、どうもいけんごたる時には、話を聞きますと、あげんでございます、こげんでございます、と、そげな事は問題ない、御神意を頂いてそのままいけばいゝと、云う風に頂くのと同じなんです。
 それこそ世間では病袋と云われる程しの、沢山の病を持っておるという事なんです、けれどもおかげを受ければ別状はないと仰った成程結婚されて、桂先生は早死にだったけれども、奥様はやがて九十近くまで二代の小倉を守られましたからですねえ。
 これは私共の場合でもそうです、家内、私はもう只人情柄だけで行きました。と云うのは、娘が三人おりますのに、一番下の私の家内に母がかかると云うて、それはどういう事かと云うと、非常に年寄を大事にすると云う もう私はそれだけでいゝと思いました。
 いわゆる人情柄を改めた、家柄人筋、そんな事はもう問題じゃない、そして事実身体の方はどうかと云うと、私の家に嫁入ってくる迄はです、もう夏でも晒を一反巻いとかにゃ出来んと云う女でした夏でも足袋を脱ぐと云う事が出来ない女でした、身体はこまい、しかも晒をいつも一反巻いとる、これはもう本当にそうでした、私共の方へ嫁入って来る迄は、足袋も夏も冬もはいとかにゃんと云う程でした。こまい時から信心深い家庭に、母が信心深いですから、もう兎に角神様一途で来ているんです、大体、真言宗の信心を非常に熱心にするんで、もういわゆる仏様からいろいろとお知らせを頂く程しに、深い信心をし、もういよいよの時には、まあだ小学校の家内を連れて、丁度巡礼のような格好をさせて、お四国さんを裏からず―っと、裏からお札さんを打ってまわりますと、三回打ってまわるがたあると云う程に、難しい事だそうですねえ、それをもう学校休ませて、そういう修行を致しております。
 いろいろな事情があったけれども、この子は身体が弱いからと、言わば年ごろになっても同じ事、身体は弱かった、けれども私はそれは、兎に角おかげさえ頂けば良いと。
 善導寺の親先生にお届けさせて頂いて、そしてよかろうと云うお許しを頂きましたから、もらう事に致しました。そうですねえ、私の方に参りましてから半年位は、矢張り夏でも足袋をはき、晒を一反巻いておかなければ、その胃けいれんを起す、というような難しい身体で御座いましたけれども、子供も七人も生ませて頂く、もうそれ以来というものは、家内が病気で休んだという事が無い、私が覚えてない程しです。
 先日から、じいと ばヾが話してるんだそうです、うちの五十枝さんばっかりは家に来てから一辺でん、コロッと寝とるとを見た事が無かが、と云うてから、云よんなさったと云うてから、愛子が聞いてきてから、云いますのを聞いとって、ほんなこて、そりたいと云うてから話した事です。
 という程しに、とてももらわれるもんじゃないとですよね、昨日もお食事の後に家内が云うんですよ、「お父さん明日あさっては何の日ですか知っちゃるですか」とこう云いますもん「ねえごつか」と云うたら結婚記念日だそうです、「もうあゝた三十一年になりますよ、私がここへ来てから」「ほうそげなこつか」と云うた事ですけれどもね。
 三十一年間という間は、もう本当に病気と云う病気をした事が無い、あのこまい身体で、しかも皆さんがご承知の通りの御用をさせて頂きながらです、しかも、こういう事になる前の私の修行時代なんか、とても他からどんもろうとるなら、絶対私の信心には、ついてきとっちゃならんです、近所からどんもろうとるなら、もうすぐ帰ったらもう帰っちゃ来ませんです。
 けれども矢張り、辛抱強いと云うか、こればっかりはもう本当に感心な事で御座います、三十一年間、ちょいと五十枝さんがコロッと昼でん寝とるとば見た事が無い、と両親が云うとる、という程におかげ頂いとる。
 今申しますように、本当に病袋のような身体だった人です、けれどもその人情柄で行ったんです、私は、見ておりますと非常に年寄を大事にするんです、又年寄ももう五十枝でなからなならんと云う風に申します。
 大体名前は五十枝と書いて、いそえと読むのです、けれども私がもらった時には、豊乃 と云いよりました、それがこの子は名前替えをしなければ、命がないち、具合の悪か時にお稲荷様にお伺いをしたところがね、そう云われて、それで母は一生正月のお餅を頂きませんという事を、お稲荷様に誓うたと云う、そしたらお稲荷様から、豊受稲荷大明神の豊の字を授けると仰ったそうです。だからそれ以来は、豊乃、豊乃と云います、だから今でも姉達は豊ちゃん豊ちゃんと云いよります。
 けれども私の方へ来ましたから、人情柄を改めた、親から頂いた名前でなけりゃいけんと私は……
 大坪総一郎の所に五十枝が来たのですから、ここは絶対五十枝が出来るぞと私が云うのです、お弟子さんでも、おそらく五十人出来るでしょう、五十枝栄える程しに、これは私が迷信を云わずに人情柄をとった訳です。
 ところが私の方に参りましてから、半年程は夏でも足袋をはき、お腹には晒一反巻きつけとかなければ、不安でたまらないと云う女が、三十一年間、それこそ寝た事もない程しのおかげを受けて今日になっておる。
 本当にお母さん あゝた喜ばんならんですばい、こげなよかお父さんを頂いてから、一緒になってから、あゝた、そうにゃ感謝せないかんですよと、愛子がえらい云いよりますもん、そげなこつじゃろうかい、お父さんのごたるとと一緒になってから、幸せという事はなかけれども、問題はね、例えば良い主人を持ったから、良い家内を持ったから幸せという事じゃない、人間は、人間の幸せというのは心、心だと私が云うのです。
 どういう心にあっても、いわゆる真、愛子ちゃんそげなこつじゃなかよ、問題は 幸せになるならんはその人の心次第だと。
 私はおかげで幸せ、そんならお母さんはどうか分からんて、本当にいよいよ自分自身の心と云う物を、どのような中にあっても有難いなあという心を頂けて、初めて人間は幸せ、そういう心におかげはあるのだという訳です。
 私はもらう時、家柄も云わなければ、人筋も云わなかった、こちらへ帰って来て、両親にその事を申しましたら、「あんたが気に入っとるなら問題はなかばってん」と母が申しました「耳はどげな風の」と、もうこれが一つの尋ねでした。
 「そげん云や耳はとてもよか耳しとるばの」と私が申しましたら「そんならよか」と母が申しました、これはもう母が耳がようなからにゃいかんと云う訳ですねえ、昔、「そげん云や身体は小さいばってん耳だけはよかごたるよ」と、「そんならよかばい」と母が賛成してくれました。
 というような事で私共は、結婚させて頂いて三十一年、まあおかげを頂いてから、出るの出らんのと云う事もなからなければ、本当に一辺でん私が手を当てたと云う事も無い位におかげを頂いた。
 それはお互いの人情柄が改められてあるからです、と私は思います。昨日お夢を頂いとった、と云うのは私共がまだ椛目におるようです、それが朝早うお客さんがあっておる、それがもう何か急な事で、すぐ汽車で行かにゃならんという、挨拶に来なさるか何かと云う感じなんです。
 だから母が丁度御神飯を炊きよった、それで母が神様にお詫びさせて頂いて、朝のお食事なっとん差し上げにゃと云うので、それを茶わんについで、御飯をどうぞと云うたところがその人は、「いやもう実は御飯食べて来ました」とこう云う。
 もう私の方には昔から絶対、お客さんが見えたら御飯を炊いて出さんならんごとなっとるです、もう必ず、何はなかったっちゃ熱い御飯を炊いて出すというのが、それでした。
 もう好きな人が来たら、母なんかもう絶対、もう朝じゃろうが晩じゃろうが、お茶のみ茶わんでお酒を出すのが癖です、もう絶対、飲む人なら出すという昔から、いわゆる人情柄なんです。
 私共は家柄がえゝとか、人筋がえゝとかは思いません、ひとつも思いませんけれども、おかげで信心のおかげを頂いて、段々人情柄を改めて来た、そしたらその御飯頂いて来てあるなら、そしたら誰かが御神飯は小さいかまで昔から炊いてましたからね、それで茶わんについだばっかりで、誰もあげなかったから、そんなら御神飯はこれでよかろうち云うてその、他の人が云いよったら、「いやいかんばの御神飯は、まいっちょ炊きなおしてくれんの」と母が云いよるところでございました。
 私は信心の筋金ちやこの辺のところにあるようですねえ。この頃から御本部から送ってきた新御理解の中にも、それに良く似たのがあります。
 神様に今日は、ぼたもちを作ってあげると、子供が来てから「母ちゃんそれをひとつ頂戴」と云うて泣くから「こらまあだ神様にも上げとらんけん でけん」と云うて頭叩いてから泣き出したと、こう云うのです、けれども教祖は、それでは神は喜ばん、くれと云うその子供に「そんならひとつよ」と云うて、ぼたもちを一つやりゃ子供はそれでおさまる、その後を神に供えても、神は喜ぶと仰っておられる。
 そんならそこで昨日、私が頂いたお夢というのを思うてみて、言わば御神飯を炊いとる、けれどもそれを人に、神様にお詫びしてお許し頂いて、そんならそんなに進ぎょんなさるなら、これなっとん上げようと云うて茶わんについだところが、その人がもう御飯は済んで来たと、こう云うのです、そんならこれを又御神飯にしてもえゝと誰かが云いよると、母が云っておる事は、いやいや、そらいかん、もう一辺御神飯炊きなおしてくれんの、と云っておる、その辺の所のね、私は信心を体得して行かねばいけんと思う。
 信心で云う人情柄というのはね、そういうところから新な信心の無い者では分からない、人情柄が生まれてくるのですよ、もし信心の無い人であったなら、それを御神飯に供えても、ひとっつも まだ茶わんについだだけじゃから、けれども私はそういう、今は教祖様のぼたもちのお話じゃないですけれども、そんなら今朝から私が頂くお夢じゃないですけれども、そういう私は、信心がなされていくという事、その次に「子を産むは我が力で産むと思うな、皆大祖神の恵むところぞ」と
 子供を産むのに、自分の力でどん産むとは思うな、みんな神様の恵んで下さるところぞと、こう云うのです、ここのところの信心を分からせてもらわなければならん。
 商売人が商売人の道を心得て、だから商売が繁昌すると思うな、神様のおかげを頂かなければ出来る事ではない、という事が分かるだから普通では、あげなほんに商売してから、と云い乍ら矢張り商売は繁昌する、おかげはちゃんと頂かれるというのです、そんなこゝの三つ続けてあります今日は、まん中を申しましたんですけれども、家柄人筋を改むるより、互いに人情柄を改めていく、人情柄を改めるという事はです、普通では考えられない、信心が無かった時信心が薄かった時では考えられない程しの心が頂けるのです。
 いわゆる神様一途、そこに信心を見合わせよと仰る、信心の心が育ってくる、どんなに家柄がよかと云うても、あそこは筋がよかと云うても、それこそ大変な業病という病気を患う人もありゃあ、家柄人筋が良いと云うて、幸せとは決して決まっていない、結婚する時は、いうなら家柄が悪い、人筋がどうのと云われる中にあっても信の人筋を持って行くならば、例えばこれは、桂先生と私と家内との事を申しました。
 人情柄を改めながら、信人筋でおかげ頂いていくなら、おかげが受けられる、そういうおかげが私は、信のおかげと云うのじゃなかろうか、家柄人筋を改めて結婚した、縁談に相性を見て結婚したから、幸せじゃったと云うような事ではないという事、例えばそんなら私の方の両親のように、相性は悪かっても、父はもう八十九才までもの、それこそ高砂のじい ばゝじゃなけれども、と云う程しの両親は健康でおかげ頂いとる。
 男の三十五と云えば厄年、女の十九と云えば、いよいよ女の厄年その厄年の者同志が結婚して、私が生まれとる訳です。成程それは様々な所を通らせて頂いた事は事実です。
 様々な難儀 苦労はしてきてますけれども、矢張り人間はね、晩年がようなからにゃいけん、なあにも差し障りの無い日常、差し障りの無い生き方、これは信人筋で人情柄を改めていかなければ、私は出来なかろうと思う。
 問題は人情柄を改めて、いわゆる信心を改まりに改まらせて頂いて、おかげを頂くならば、不健康なものも健康になり、言わば貧乏筋の所であっても、お金に不自由しないと云う程しのおかげが頂かれ、人間の幸せというものは、お母さんあゝた本当幸せですよと、喜びなさらにゃ、うちのお父さんのような良い人からもろうてもろうてと、決してそげな事じゃなか、私共が人情柄を改めた上にも改めてきた、結局、自分自身の幸せと云うものは、心一つにかけられるものだ、いわゆる信の心にあるのだ、その心に幸せの条件というのが、段々たろうてきて、おかげを頂いていくという事になるのです。家柄人筋を改めるより互いに人情柄を改めよ、という事を、のっけに私が申しました、商売人が商売の道を覚えて、私共がです、例えば商売の道というようなものを覚えていなかったら、そして金光様の信心しとったら、私は商売で成功しとったかも知れない。
 けれども余りにも商売人であった、私はそれがいつも失敗をする元を作っておつた、商売が上手なのにどうしてだろうかと思うてましたけれども、矢張り商売の道だけではいけない、おかげを頂かなければ出来る事じゃない。
 商売人が商売人の道をふまずに、云うなら何事にも真心になっていくという行き方で、ある場合にはお店の事はほうからかすという場合もあるけれども、問題は商売が繁昌すれば良いでしょう、夢にも思わなかったおかげを頂きゃよいでしょう、只商売の道を履んでからどん頂けるおかげ位の事じゃないて、信心のおかげと云うのはと云う事を引き合いにですね、私は今日の、家柄人筋という事を聞いて頂いた。どんなに家柄人筋が良くても、貧乏したり難儀したり別れて帰って来たりと云う事があるじゃないか、例えば世間では、あそこは家柄が悪か、あそこは筋が悪かですばい、先代まではこげな病気しちゃったですよ、というようなところであっても、神様におかげを頂いて、信心させて頂いて、いわゆる信の心、人情柄が改められていく限り、絶対おかげになる、と信ずる事がです、私は金光様の信心であり、何事にも真心になれよという生き方だとおもいますね。                     どうぞ